三沢光晴(著)
判型:46判並製
頁数:256ページ
装丁:鈴木成一デザイン室
発刊:2010年6月7日
ISBN:978-4-903908-19-9 C0095
レスラーとして、社長として、一人の人間として――。
満身創痍になりながら、ぼくらに残してくれた、お茶目で愛しい言葉たち!
笑えて、泣けて、ぐっとくる!!
「三沢選手からのあたたかく力強い“魂の励まし”を受け取ってくれることを願ってやみません」(特別発行人 香山リカ)
「1日1日、そして1試合1試合を一生懸命しているうちに“ああ、もう5年か”という感じです」(2005・12・30)
「熱が下がらなくて咳が止まらなかったのですが、何とか頑張って試合をしました」(2006・9・15)
「どうせやらなきゃいけないなら、中途半端よりも一生懸命やったほうがいい良いよねp(^ ^)q」(2007・4・6)
「ちょっと辛い時代ではありますが、ノアの選手は皆、前向きな気持ちで頑張っていきます」(2009・1・1)
――三沢光晴本人による、2005年11月4日から2009年1月1日までの85日分の日記。
●著者情報
三沢光晴(みさわ・みつはる)
1962年6月18日北海道夕張市生まれ、埼玉県越谷市にて育つ。学生時代にアマチュアレスリングを経験し、国体で優勝。高校卒業後は全日本プロレスに入 門。入門からわずか5カ月でデビュー戦のリングに上がるなど早くから頭角を現し、その後は全日本プロレスが管理する全ての王座を獲得。田上明、小橋建太 (当時:健太)、川田利明と共に一大ブームとなった四天王時代を築き日本マット界のエースに。決して妥協を許さないファイトスタイルを貫き、激しい試合を 繰り広げる。その後2000年7月、理想のプロレスを目指してプロレスリング・ノアを設立。プロレス界に新たな流れを生んだ。2000年8月の旗揚げ戦で は選手自身に自由な発想と強い信念をもってほしいとの思いから、「自由と信念」をキャッチフレーズに掲げる。その後一貫して選手の意思を尊重すると同時 に、所属選手・社員の健康診断を義務づけることで選手の体調管理を徹底するなど、環境整備にも尽力した。
2009年6月13日広島大会試合後に急逝。